季節が巡る。のどかな光に、対になった新芽が恥じらいながらも顔を出す。その生長はいつまでも止まないのではないかという錯覚を与えるほどだ。そして最後のお洒落を愉しむかのように色づき、枯れる。時が流れる。人が生まれ、死ぬ。ただそれだけのことに対して大学のゼミナールはどのような意味を持っているのか。侃々諤々の議論はどうだろうか。地方自治の権威と酒を酌み交わすことは…食を得るために職を得る、そのために学位を取得し、その一環としてゼミナールに所属する。論理的に考えるとこれが自然かもしれない。出来ればそう考えたい。その
なんで東京特集買ったんやろ。
なんで卒論の"あとがき"にこんなこと書いたんやろ。
人生は謎が多い。
uckey